日本人は反脆弱性の人が多い(気がする)
日本人は反脆弱性の人が多いような気がする。
そのまえに反脆弱性ってなんだって話だ。
脆弱性はサイバーセキュリティの用語で安全性上の弱さを表す言葉なので‘‘反‘‘脆弱性とはその反対の意味になりそうなものだが別にそういうわけじゃない。
どちらかというと「反」と「脆弱」と「性」がそれぞれが独立しているような意味合いだ。
まず、「反」は反対意味。
次に、「性」は性質を持っているという意味。
そして、「脆弱」とは文字通り弱くてもろいという意味でその対義語は「強靭」だ。
ここで問題なのだが、強靭とは強くてしなやかという意味なのだが、本当にそうなのだろうかと考えたおっさんがいた。
「脆弱」を(外部からの力で)弱くて脆くなってしまうものと定義するなら、その反対は(外部からの力で)強くなったり成長するものではないだろうか。
つまり反脆弱性とは「外部や圧力によってパフォーマンスを向上させる性質」という意味を持ったどこかのおっさんが作った造語だった。
そのことについて書いてある本をしっかりと読んでないのでよく覚えてないけど。
確かそんな感じ。
で、ここからが本題なのだが日本人は反脆弱性な人たちが多くいるのではないだろうか。
というのも、今の日本社会はあまりにもストレスがかかりすぎている気がする。
会社員の多くは大してやりがいの無いような仕事に問答無用で残業を強いられ、部下のモチベーションを下がるのを分かっていて怒鳴り散らす上司もわんさかいるし、首都圏なんて人口密度が高すぎてそれだけでストレスがやばいのなんのって話だ。
もちろん、日本の文化は他の国にはない素晴らしさがあるし、日本の文化が好きだからと海外から勉強しに来る人だっているくらいではある。
しかし、利便な文化にはいろんな人の(膨大な)作業によって成り立っているわけだし、日本大好き海外の人でも「ここじゃ働きたくはない」なんて言われてしまうのだ。
なんで日本人は日本人を苦しめて生活しているのだろうか。
もしかして日本人は反脆弱性の人が多いから・・・?
たしかによくよく考えると日本は厳しい上下関係がある。
上司の監視によって部下を動かす雰囲気があるし、なにかと命令口調が目立つ。
本来、自分のできることを依頼されてそれをこなすと報酬がもらえるのが仕事だと思うのだが、日本の仕事は上の言うことを聞いていると報酬がもらえるといった雰囲気がある。
だから日本の企業でのお偉いさんには仕事ができるとはいいがたいような人もわんさかいる。
仕事ができるから評価されるのではなく、言われたことをやり続けたことに評価される、というなんとも気持ちの悪い違和感みたいなものがある。
この違和感というのはなにも仕事だけではない。
例えば「部活(運動部)」なんかもそうだと思う。
ある種目を通じて自己の研鑽だったりスキルの向上が目的だと思うのだが、部活はクラブ活動よりも本来の種目以外のことに厳しいようなイメージがある。
これができなかったら校庭10週とか、忘れ物したら片付け全部やるとか、人にあったら誰であろうと絶対に立ち止まって大きな声でする、とか正直よくわからないルールみたいのを強要されてしまう。
そしてそういった謎のルールが厳しい学校の方が強かったりする。
クラブ活動はすべてがそういうところではない。
だからといってクラブ活動をしている人の方が劣っているなんてことは全くなく、僕の中では部活で育った子はさっぱりとしている印象の子が多かったイメージがある(ちなみに僕は部活動の人だった)
なにもこれらは特定の事象ではなくて日本においてはあまりにも当たり前の光景なのである。
こんな風潮が当たり前になってしまうのは、日本人は強いストレスに耐えられる力とそれを力に変える力がある故なのだろうか。
そうなるとやはり日本人は「外部や圧力によってパフォーマンスを向上させる性質」を持っているのだろうか。
日本人は「反脆弱性」を持つ人種なのだろうか。
ただ、たとえそうであったとしても僕はこんなストレス社会まともに向き合ってられないので、明日の仕事もそれなりに頑張るくらいしか思えないのだが。