寝不足につき
寝ます。
おやすみ。
タイトルなし
木曜日という微妙なところにポンと休みができたので久々に帰省しました。
そしてずっと母と話をしていました。
帰ってくるとこんな時間になってました。
明日の仕事に響きそうなので記事は明日書きます。
ラジオ
3日で終わるかと思っていた毎日投稿だが、なんだかんだでもう1週間を超えていたことに気づいた。
意外と続けられていることがちょっと嬉しかったり。
さて、今回は自分の好きなものについて書いてみることにしよう。
僕はいわゆるアニメラジオや声優ラジオが好きだ。
本格的に聞くようになったのは今年の4月くらいからで、大学を卒業し会社に勤めるようになり周りにアニメ趣味な人が少なくなってしまった悲しみを埋めるようにラジオを聞き始めたのだ。
とはいってもアニメラジオ(アニラジ)や声優ラジオ(声ラジ)のリスナーの素養は小学校のころからあって、その手の類のラジオで一番最初に聞いたものは「さよなら絶望放送(SZBH)」だった。
当時隣の席の腐女子な女の子からアニメや声優を教えられていた僕は洗脳に近い布教活動により結構なオタク知識を有していた。
そんな僕に仲の良かった同じサッカークラブの子がこっそり教えてくれたのだ。
「アニメのラジオって知ってる?実は兄貴がアーカイブ持ってて。絶対面白いから聞いてみてよ。」
その時はまだオタクっぽい話をすることに抵抗がある人が多かったのだが、それでも僕に教えてくれたことが嬉しかったことを未だに覚えている。
そして、聞いた見たところ。
無事どハマりした。
TVをほとんど見なかった僕にとって声優さんは普通の人たちでいうところの‘‘芸能人‘‘みたいな立ち位置であり、その‘‘芸能人‘‘がアニメのセリフじゃないフリーなトークで彼彼女たちの人となりを知れたりその場を盛り上げたりしているコンテンツにハマらないわけなかった。
しかもいい声で。
ただそのラジオはUSBでキャプチャーされてたものだったので他のアニラジは調べ方も視聴の方法も知らなかったこと、アニラジ<ゲームだったこともありそれ以来ほとんどアニラジ声ラジは聞くことがほとんどなかった。
復活したのは大学生の時、友達にソシャゲを勧められ一緒にそのソシャゲのラジオも聞き始めたときだった。
そのあたりでラジオなのにネットで見れることや音泉やHibiki Radioなどのスマホアプリがあることも知ったのだ。
大体はゲームの情報収集のために聞いてたのがほとんどだったような気がする。
しばらくして社会人になり、いわゆる若手の人がパーソナリティをしてるラジオを中心に聴くようになった。
働くことの大変さがわかるようになって、同じ年代の人が頑張っていることを見ていると応援したくなるようになってた。
一人暮らしの寂しさからなのか、僕も番組を盛り上げる一部になりたいと思いメールを送るようにもなった。
そして現在に至るというわけだ。
なぜこんなことを書こうと思ったかというと、実はアニラジ、声ラジは9月で番組が終了することがよくあるからだ。
察しのいい人なら気づいたかもしれないが、例によって僕の一番好きなラジオが今月終了するというのだ。
とっても悲しいのだ。
どこかでこの思いを発散できないかとこうして書いている次第だ。
しかし文字を書くというものは考えをまとめるには優秀なものだ。
割とすっきりする。
固めの記事を書くのは調べながらまとめるだけなので簡単なのだが、こうやって自分の思いや思い出をアウトプットすることは心が軽くなる感じがするのでこれはこれで良い。
なにより書いてて楽しいね。
引き算的思考の重要性
最近知ったのだが、物事を「足し算」「引き算」で考える、という思考があるらしい。
足し算の思考はどんどん情報や課題を自らに与えることで自分を付加価値をつけていこうという考え方。
引き算の思考は無駄なものを無くすことで本当に集中したいことをやる一点突破な考え方。
この考え方一見するとどちらも長短がありそうなものだが、実は「引き算」の方か優秀らしい。
足し算の思考に陥ると、やることが膨大になり結局手につかないことが多いのだとか。
逆に引き算の思考で一番やりたいことの周りにある生涯を削っていくことで効率よく結果的にかかる時間も少なくなる。
これはビジネスの世界でも重要になる。
例えばapple社のスティーブジョブズも引き算の思考を使っていたことが分かった。
彼が語った言葉の中に「イノベーションとはすべてのことに対してイエスということではない。最も重大なことを除いたすべてのことにノーということだ。」というものがあるほどだ。
確かにiPhonは正面にボタンが一つだけというシンプルな構造だったが、爆発的な人気を博していた。
今や世界的な大企業であるGoogle社も検索エンジンに注力することで「Google」が調べることの同志的な表現として使われたりもしている。
日本で「引き算」の考え方を体現しているのはホリエモンの名で知られる企業家の「堀江貴文」さんだ。
彼は必要最小限のものしか持たないミニマリストであれだけ稼いでいるように見えるのに(実際はよく知らないが)自分の好きなことに徹底的に尽力できるよう家すら持っていないらしい。
「引き算」な生き方をしているからこそ様々な分野で成功を収めているのだろう。
そういえば学校では「足し算」ばかり教えられていた気がする。
なにかをしなさいとばかり教えられて、なにかを止めなさいとは言われることが少なかったように思う。
ただ、今や僕も社会人だ。
自分の行動は自分で決めることができる。
考え方を変に強制もされなくなったのでこれからは「引き算」の思考を取り入れて生活してみることにしよう。
そしたら何かが変わってくるのだろうか。実感が得られたらまた書こうかなと思う。
これからの働き方について僕が思うこと
昨今時代の変化は激しい。
働き方についても目まぐるしいほどに変化が訪れてきている。
これからの働き方はどう変わっていくのだろうか?
今まで道理に働けなくなってしまう僕たちはどうしていけばいいのだろうか?
僕なりの意見を書いてみることにした。
まず、雇用形態が大きく変わっていくことになるだろう。
ネットが普及したことによって、人力で行っていた仕事は次々に省略化されたり会わなくてもコミュニケーションが取れるような時代だ。
作業の少人数化や時間に多様性が出てきて時間に制限をかけた働き方やマルチに働ける人間の需要が高まっていくことになる。
仕事にかける時間の長さが成果に直結しなくなった現代において、働かせる側としては「正社員」、「終身雇用」にする必要が全く必要が無くなってくるだろう。
今までのように会社に入ることで会社の一部として評価されていた状態から、これからは自分の働きで会社が評価される側面が強くなっていくだろうし、仕事の本質ではないいわゆる‘‘作業‘‘のようなものがどんどん削れていくことで、仕事はより専門性を増していくだろう。
ならば
僕たちはどうしていけばいいのか?
僕は「自分に何ができるのかを知る」しか解決策はないと思う。
己を知り、最大のポテンシャルを発揮することがこれからの時代の強みになるはずだ。
働いてきた中で培ったもの使ってスキルの掛け算をしていくことが自分の専門性を見出すことになる。
例えばプログラミングで働いて知識と後輩にプログラミングを教えていた経験を活かして「プログラミング×教育=プログラミングの講師」などだ。
ただし、「自分のできること」を消極的にとらえては欲しくない。
今はまだ出来なくても興味あるものにチャレンジすることやこれからもスキルを学んでいく意識は持っていた方がいい。
そうしないとスキル専門性は頭打ちになってしまうからだ。
掛けられるものが多いほどより専門的になっていくのだから可能性は広げるべきである。
どんどんチャレンジして自分に向いてないと思ったら軌道修正すればいい話なのだ。
もしものにならなくてもそこで学んだことは次に活きるのだから。
時代の変化は今も起こり続けている。
時代に取り残されないためにもまずは自ら動いてみよう。
今日のむじょっくすTVを見て思ったこと
僕はこの3連休のうち今日だけが唯一の休みだったのだが、特段なにをにすることもなくyoutubeを見ていた。
するとホームにある投稿がupされていた。
それはむじょっくすTVからだった。
動画のタイトルに「むじょるから大事なお知らせがあります。」と書かれている。
気になって動画を再生してみると、なんとGameWithのyoutuber(正しい言い方かは分からない)であるむじょっくすTVのむじょるさんが退職するのだという。
むじょっくすTVはくすきさんとむじょるさんの2人で実況をしているチャンネルで、主にスマホゲームのプレイ動画や紹介する動画を中心にupしておりチャンネル登録者は18万人を超えるほどの人気実況者達だ。
彼らのシャドウバースの動画は特に人気で、シャドウバースをしたことのある人なら彼らのことは知っている人も多いのではないだろうか。
彼らの所属している会社はGameWithはスマホゲームの総合情報サイトとして最近一部上場が決まった飛ぶ鳥を落とす勢いの成長を見せている。
そんな中でなぜむじょるさんは会社を辞めてしまったのか。
彼曰く、今までのyoutuberの経験を活かしてマネジメントやディレクションをしてみたいということらしい。
むじょっくすTVは継続して続けていくが、そこにプラスアルファとして個人で仕事を続けていくようだ。
2年ほど前から起業したい気持ちはあったらしい。
人気youtuberでもやりたい、やりたいといいながら実際踏み出せない状況があったのだ。
現状を変えてみたくて、でも実際何をするわけでもなくて、動かないのに漠然とした不安があって、くすぶっている。
まさに今の僕だった。
違うことがあるとするならば、彼は新たな一歩を踏み出したということだ。
僕は未だ踏み出せてはいなかった。
ならば、僕も踏み出すべきだろう。
僕が会社を辞めようと思っている理由と彼が会社を辞めた理由は違うし、僕はyoutuberでもなければ彼のように高学歴でもないけれど。
それでも少し勇気づけられたのは確かだ。
なら僕も頑張ろう。
まずはやりたいことに関わるところからだろうか。
道のりは長そうだ。
文字を書くこと
僕は文字を書くということが嫌いではないのかもしれない。
というのも、今の仕事で僕は肉体労働が嫌いだということに気づき、文字を書くことは肉体労働と比べるとそんなでもないからだと知ったからだ。
まぁ文字を書くことで収益が出ている訳では無いので今の仕事と比較なんてできないのかもしれないが。
小、中、高と運動をしていたのである程度は体使っても大丈夫だろうとたかをくくったつもりだったが、存外体は動いてくれなかった。
それは日に当たりすぎるとダウンしたり胃腸が弱かったりするせいもあるかもしれない。
でも運動は好きで友人とテニスなんかで遊ぶことだってあるしその時は誰よりもコートを走り回ってる(つもりだ)。
つまりは汗水たらして夏場は暑いおもいしながら外で働いてるのに割に合わないと感じてしまうせいなのだ。
命を削っている感じしかしない。
30、40になっても続けられる気がしない。
だから何か別の方法で生きていくことはできないものかと考えた結果、こうして文字を書く練習をしているのだ。
文字を書くだけなら自分にもできるし、少なくとも肉体的な体力は使わなくてもいい。
なにより書いてる間は意外と楽しい。
あまり時間が気にならないくらいには楽しい。
学生の時には自ら文字を書いてなにかしようなんて考えもしなかった。
高校の時の宿題で出された読書感想文とかめちゃくちゃ嫌いだったし、大学のレポートなんかもうまくかけたためしがない。
文字を書くのめんどくさいとさえ思ってた。
それでも人は窮地(?)に立たされると必死になるわけで。
今の僕は今の仕事をしたくなくて必死なのだと。
そのためには何がしなければならないのだと。
書いてみようという気にはなる。
正直、ブロガーの人たちのようになにかすごいことに挑戦しているわけではないし、この記事を楽しみ待っている人がいるわけでもないし、そもそも飽き性なので続けられるのかが心配ではある。
何かが変わるかもしれない。
そんなあいまいなものを信じて今日もとりあえず書く。
だから、明日も頑張んだぞ。