近況

前回自分の趣味全開でろくに見直しをしないで半分イキリみたいな文を書き散らした結果、結構な人に記事を読んでもらったみたいで。

 

はてなを開いたらPV数100を超えたという通知が出てた。

 

きっとその多くはワグナーさんたちだろう。

 

ワグナーさんたちありがとう。

 

 

 

誰に見てもらうのを目的にしてたわけじゃなかったけれど、それでも嬉しかった。

 

記事に一貫性もないし、なんか誰のためになるでも無い変な情報ばっかり発信してるし、誤字脱字は多いし、かっこつけて頭よさそうに書くし、こんなイタイもの書いてるのとか知り合いに見られてると思うと気が気じゃないけれど。

 

見てもらえている。それだけでなんだかモチベーションが上がってしまう。

 

だから今回書こうと思ってたものはまた今度にして、こうして近況を書いてみることにした。

 

 

 

最近はラジオとブログにハマってる。

 

僕が聞くラジオやブログはアニメとか声優に関連したものがほとんど、というかそれが全てだ。

 

毎日聞いたり見たりしてる。

 

仕事の移動中とかずっとラジオ聞いてるし。

 

仕事から帰れば人のブログ見たり、ブログ書いたり。

 

今はそれだけで楽しい。

 

今日なんか知り合いがおすすめしてるラジオを見たり語ったりしてほっこりしてるし、同じ趣味の人(面識はない)のブログをみて自分の100倍面白いことに絶望しながら感心してテンション上がったりとそれなりに満喫してる。

 

 

これも社会人になって独り暮らしをしてから(仕事は邪魔でしかないが)好きなことを好きなだけできるようになった環境があってこそだろう。

 

 

実家にいたときは誰かに見られるのが恥ずかしくて、ブログ書くとかぜっっったいにできなかったし。

 

女性声優の声聞いてニヤニヤしてるのを親に見られ「彼女いないのに女の声聞いて満足しててなんか可哀そうな奴だな。大丈夫か?」って一時本気で心配されたのがショックでアニラジを聞くことも憚れてしまってたし。

 

親の目<欲望が勝ってWUGにハマっていた時に、ライブ行くのに親に「友達と弾丸旅行してくる」とか意味の分からん嘘ついたりしてきたからか、独り暮らしが始まってからの反動がデカい。

 

独り暮らし最高!!!

 

独り暮らし万歳!!!!!

 

 

 

 

そんな僕だが記事を書き始めてから趣味に対しての楽しみ方が少し変わったような気がする。

 

情報収集的な意味合いが強くなっていて、何したらそんなに面白くできるのだろう?何が読み手を楽しくさせるのだろう?というところに目を向けられるようになっていた。

 

構成が気になる気になる。

 

気になったら理解したいし自分のものしたくなってしまう。

 

今回の感情を出すような書き方も今日見たブログを真似たりとしっかりと影響されがちだw

 

いずれはラジオもやってみたいと思ってたり。

 

そんな感じで最近は衝動的に好きなものを追っているしやりたがりになってるという近況報告でした。

 

 

 

 

 

 

誰かラジオやるorやってる人いませんかーーーーーーーー???

 

 

お手伝いさせて下さーーーーーーーい

 

 

 

誰かーーーーーーーーー

 

 

 

 

いませんかーーー

 

 

 

 

 

あのー(虚無に響く声)

 

 

 

 

作品とストーリー性の関係とその重要性③

次は僕が人生で一番ハマったアニメコンテンツについて語ろう。

 

 

 

【彼女たちの活動こそストーリー、あまりにも異質ながらも真っ当な輝き方をしていた声優アイドルユニット Wake Up, Girls!】

 

Wake Up, Girls!は主役7人の声優が81プロデュースとavexが共同でオーディションを行い、プロダクションに所属していない一般人から選ぶ、というコンセプトの元に生まれたアイドルアニメとその声優達が実際にユニットとして活動する企画である。

 

アニメーションと声優たちのユニット活動のどちらもWake Up, Girls!であるためこの記事ではそれぞれを「2次元 Wake Up, Girls!」、「3次元 Wake Up, Girls!」として区別し、今回は3次Wake Up, Girls!のストーリー性について解説していく。

 

 

 

さて、アニメーションとアイドルという今日では新たなジャンルになりつつある2足の草鞋スタイルは結構な数あれ、ここまで異質なものはなかっただろう。

 

なぜならば、アニメーションの方のWake Up, Girls!が途中で監督からスタッフからその方向性からまるっと変わってしまった結果、3次元のWake Up, Girls!は独自の成長を遂げたからだ。

 

当時Wake Up, Girls!みたいなスタイルの作品では2次元>3次元であることが多く、3次元の活動は主に2次元に依存しているものが多かった。

 

アイドルマスターラブライブなどと比べてもらえばよく分かるだろうが、これらはよくゲームやアニメで公開された曲などを用いてライブを行う。

 

この手の3次元の活動とは2次元から発信された情報を3次元の受け手が超えられない液晶の向こう側に疑似的に行くための手段として逆にコンテンツを3次元にしてしまおうというものだ。

 

Wake Up, Girls!最初こそその形で活動していたが、途中から製作者側の都合によって2次Wake Up, Girls!が概念から揺らいでしまい結果変化せざるを得なかった。

 

そこで彼女たちは2次元 Wake Up, Girls!とは異なった変化を選んでいったのだ。

 

Wake Up, Girls!はもともと東北地方太平洋沖地震東日本大震災)の発生を受けて東北地方を舞台にした。地方の活気づけをすることを目的とした作品であり、その内容にも宮城県仙台市を中心として夢を追う少女たちを泥臭くリアルに震災と絡めながら描いた物語であった。

 

しかしアニメ2期(スタッフが交代後)では、彼女たちの平和な日常を描いた描写が多くあり、またその内容もどんどんと東北から離れていった。

 

そういったものが悪いとは言わないが、物語の軸がぶれていると言わざるを得なかった。

 

 

 

つまりはストーリー性がちぐはぐになり、何を受け手に伝えたいのかわからない程に作品が破綻してしまったのだ。

 

そうなると3次元のWake Up, Girls!は自分たちの方向性に迷う。

 

東日本大震災の復興支援を掲げていただけに、2次元 Wake Up, Girls!の方向転換は他の作品のそれとは意味合いが変わってくる。

 

被災地からの応援が大きかった分、その反動は大きい。

 

実際に東北でWake Up, Girls!の活動を楽しみにしていた人からも不安な声が多かったという。

 

 

 

そんな状況で3次元 Wake Up, Girls!はどうアクションしたのか。

 

 

 

 

 

彼女たちはアニメから実質的な独立をしたのである。

 

彼女たちはアニメーションでは触れていかなくなった東北を盛り上げるために宮城県のPR活動や、Wake Up, Girls!の名前のまま他のアニメ作品のOPやED曲を担当したり他のアーティストとコラボレーションし楽曲を発表したりライブのセトリを本人たちがある種の信念をもって決めていたり、とその活動範囲は2次元 Wake Up, Girls!の枠外から大きく外れていた。

 

宮城県のPRはその他の内容のまとめみたいな立ち位置なので最後にしよう。

 

まずは他のアニメのOPやED曲をWake Up, Girls!名義で歌っていたこと。

 

ライブでは「タイアップ曲」と称されていた。

 

 

そして大事なのはWake Up, Girls!として歌ったということだ。

 

 

タイアップ曲が発表され始めたのは一応旧章(復興支援の意味合いが強かった頃)ではあるが、2次Wake Up, Girls!の旧章と新章の空白の1年間であり、正直プロジェクトそのものの存在さえ危ぶまれていただろう時期だった。

 

アクションを起こさない、または起こせない2次Wake Up, Girls!と共倒れのような状況から脱出するための一つの方法だったのかもしれない。

 

ここから読み取れることは、もともと自分たちの作品がありながらもそれでもWake Up, Girls!として歌ったということに、アニメーションとの切り離しをもっといえば3次Wake Up, Girls!をアーティストとして独立させる為の活動ではないのだろうか。

 

タイアップ曲はいくつかあるのだが、今までのWake Up, Girls!では歌ってこなかった雰囲気のものが多くあることもこの推測を助長させる要因になっている。

 

そんなタイアップ曲たちだが、それ自体にはあまりここで触れはしないので、楽曲について気になった人はぜひ調べてみてほしい。ライブでもかなり盛り上がる曲ばかりなのでWake Up, Girls!をしってもらう入り口としてもお勧めできる。

 

 

 

次に他のアーティストとのコラボレーション。「マクロスF」でシェリルパートを担当したことでも有名な「May'n」とのコラボ楽曲のことである。May'nは以前からWake Up, Girls!のファンだったこともあり彼女がWake Up, Girls!のスタッフに会うたびに自分はWake Up, Girls!が好きだと伝え続けた結果の産物らしい(本人談)

 

コラボした楽曲ではWake Up, May'n !の名義になっていて今回限りのユニットとして歌っているのだが、これも2次元からの縛りがない故の活動だと思っている。

 

 

 

セトリを自分たちで決めだしたこともアーティスト色を強く出している要因の一つだ。

 

明確にいつからかは把握できなかったのだが、彼女たちは伝えたい思いをセットリストに乗せてライブに臨むことがあった。

 

その中にはいつも東北への思いが込められていた。

 

時にはOPで、時には着替え中の間の映像で、またある時には曲の途中で、東北の映像や写真や彼女たちの震災へのメッセージを発信し続けていたのだ。

 

ライブは盛り上がることを重要視するので、これをするとライブとしてはよろしくはないのだろうが、ファンにより東北のことを知ってもらうためもといファンに思いを伝えられる手段が限られているために選んだ方法だろう。

 

これらを語るときの彼女たちは表情から笑顔が消える。

 

ライブであっても重々しい口調でファンに伝えてくる。

 

商品的な価値に重きを置き、震災の復興から離れていったアニメーションにはないものだった。

 

それほどに2次Wake Up, Girls!のライブと3次Wake Up, Girls!のライブは存在理由が違っていた。

 

 

 

そして、宮城県のPR活動。

 

これは主に東北イオン「にぎわい東北」キャンペーンのことである。このキャンペーンは「安心して暮らせる一日一日の積み重ねが笑顔溢れる未来につながる。日々のお買い物を始め、地域のくらしのあらゆるシーンに寄り添うことで、地域の支えになるための、自然豊かで災害に強いまちづくりの実現」を目指した活動だ(公式HPより一部抜粋)

 

Wake Up, Girls!はその中でもにぎわい東北のキャンペーンソングを担当していた。楽曲名は「TUNAGO」。

 

7人のグループなので1人1文字ずつで「TSUNAGO」の案もあったらしいが東北6県をイメージした6文字であり、メンバーが主導で歌や振り付けを構成している。

 

MVは宮城県石巻をバックに日和山公園で映し出されるもので、場面が切り替わってもそれらは石巻のいずれかで撮影されており、派手な演出はなく、彼女たちのプロモーション以上に被災地の現状を知ってもらうきっかけとしての狙いがあったのではないだろうか。

 

3次Wake Up, Girls!がどれほど東日本大震災について考えていたかがそれだけで十分に伝わってきた。

 

そして、後に開催される「TUNAGO東北ろっけんソロイベントツアー」。メンバー一人一人による東北でのツアーである。

 

この時の僕はまだWake Up, Girls!について認知していなかったためこのツアーには参加していないが、各メンバーが東北での思いや他のメンバーがいない中で明かされるWake Up, Girls!への思いがしっかりと伝わってくる内容だったと聞く。

 

つまり3次Wake Up, Girls!は東北への気持ちを忘れていなかった。

 

2次Wake Up, Girls!では表しきれなくなった存在意義のようなものを証明しようとした結果、旧章を引き継ぐように独自の成長を遂げたのである。

 

ここがこの作品の恐ろしいところであり、また僕が強く惹かれた部分でもあった。

 

前回と比べると結構な分量を書いてしまったが、とどのつまり作品のストーリー性とは、まずアニメとリアルという平衡した2つのストーリーと2次Wake Up, Girls!が今までのコンセプトから一新されたときに3次Wake Up, Girls!が分散されていたコンセプトの大部分を引き受けたこと、更にはそこから進化していく成長過程や彼女たちの生きざま自体がストーリーになっていること、と複雑に絡み合った作品であり濃厚なストーリー性になっているのだ。

 

以上で作品とストーリー性の関係についての記事は一区切りつくことになるが、これからは物語をストーリー性を感じながら見てみるのも面白いのではないだろうか。

作品とストーリー性の関係とその重要性②

前回の記事でストーリー性については説明したので、そのうえで僕がおすすめする作品を見てみよう。

 

まずはラジオ。

 

【5人のパーソナリティが番組の中で成長していくA&Gの帯番組A&G NEXT BREAKS

FIVE STARS

 

次にブレイクするであろう女性声優5人が五つ星、超一流の声優・ラジオパーソナリティーに成長していく過程を見守るラジオである。(Wiki参照)

 

月曜から金曜までのいわゆる平日の5日間をそれぞれが各曜日の担当としてラジオをしていく帯番組で、2015年4月6日から30分の録画番組として放送がスタートし途中から1時間の生放送になったが、2019年9月27日に放送が終了してしまった。

 

それぞれのパーソナリティは月曜:黒沢ともよ、火曜:深川芹亜、水曜:田中美海、木曜:松田利冴、金曜:吉田有里である。

 

この枠の放送は以前から新人女性声優主体の番組が多く、このFIVE STARSも例に漏れないキャスティングで本パーソナリティ最年少の黒沢ともよさんは当時18歳だった。

 

僕は初回からみていたわけではないが、それでも高いストーリー性が見られた番組だった。

 

まずは縦のストーリー性。つまりは個人の成長の物語だ。

 

その多くが放送当初は成人前だったこと、または1人ラジオが初めてだったこと(?)だったこともあり見た目も声もラジオのトークや回しもはじめの方と最後の方では全く違うものに仕上がっていた。

 

照れくさそうにしゃべり始めていたり、フリートークで困っていたり、無理に頑張っていたりとなかなか見ているこっち側も心配になってしまうようなところは全くと言っていいほど無くなり、いつの間にか自然なトークでありながらも自分たちの強みを出せるような器用さを持ち合わせていた。

 

時にはスタッフまで巻き込んで番組を盛り上げたりする術もそれぞれ身に付けていたり

して、最後の方の放送では各曜日ほとんどの回でスタッフをいじったりする様子も見られたりと確かなスキルアップを見出していたのである。

自分と歳の近いパーソナリティが多いこともあり、彼女たちの成長は僕の中で鋭く刺さった。

 

次に横のストーリー性。スタッフやパーソナリティ同士とのつながりだ。

 

4年半という長い間共にラジオをしてきたことである種の友情のようなものが芽生えていたように思える。

 

最初はスタッフの言うことをきちんと聞くだけだった彼女たちも次第に仲良くなっていき、はては話題のタネにたり、わざと映像に映るように仕向けてみたりとビジネスの関係だけではできないようなスタッフ弄りを繰り広げたりもしていた。(ただし、この番組のスタッフは自ら出ていきたい感が否めない節もあるが)

 

例えば、月曜なら本番中に女子トークを始めたり、水曜はディレクターが歌ったり、金曜に至っては一緒に佐賀旅行しに行ったりするくらいには仲が良かったのだ。

 

回を重ねるごとに無茶ぶりが増えていくところを見ると、番組自体にもストーリー性が出てきたんだなぁとしみじみとしてしまうのだ。

 

また、それぞれが所属している事務所が異なることや各曜日ごとの担当制なのでパーソナリティ同士の関係は希薄になりがちかと思いきや、同じ番組を背負っている責任からか互いを高めていくような姿も見られたのはとても良かった。

 

この番組は縦と横の2つのストーリー性を持った非常に優秀なラジオだったと思う。

 

ストーリー性が多ければいいというわけではないが、ベクトルの違ったストーリー性をそれぞれ作っていくというのは見ていて面白かった。

 

しかも(途中から)生放送ということもあって、声優のお仕事をだけでは味わうことのできない生感が僕には強烈にツボな番組だったのだ。

作品とストーリー性の関係とその重要性①

昨今、様々なものにストーリー性が重視されている。

 

ストーリー性とはあるものの始まりから現在までの過程を表した言葉であり、物語の共感性や説得力・話の流れなどから構成されている。

 

また高いストーリー性には消費者の購買を促す効果も見られていることから、現在では小売業や経営戦略にも用いられることが多くなった。

 

ただしストーリー(物語)と言うくらいなので、小説やアニメ、映像コンテンツなどのシナジーはかなり高い。

 

今回は僕が見てきたストーリー性の高かったものを紹介しようと思うが、まずストーリー性を高くするものや評価されるストーリー性について話すことにしよう。

 

 

 

【ストーリー性を高くする要因】

 

まず、小説やアニメ、映像コンテンツ(以下作品と訳す)で高いストーリー性を作ろうとするときにはストーリーラインを作る必要がある。

 

ストーリーラインとは、作品を通して伝えたいメッセージを聞き手に共感・納得してもらうための方向性決めのことで、ここで聞き手に作品の世界観や、湧いてくる疑問を共有する必要がある。

 

特に作品の世界観を知ってもらう活動をストーリーテリングといい、作品を外部から注釈することで更なる共感や教育をすることができる。

 

また、登場するキャラクターの思考や心情を理解してもらうこともストーリー性を高くするためには必要である。

 

これをできないと聞き手は直感的に理解できずにインパクトのある面白みに欠けてしまうため、キャラクターに感情移入できるような構成にすることも重要である。

 

作品を通したキャラクターの感情の変化を「エモーショナルアーク」と呼ばれ、売れる作品にはパターン化されたエモーショナルアークがあることも研究で分かってきている。

 

ここまでがストーリー性の予備知識だ。

 

つまりは、ストーリー性の高い作品になるには、しっかりとした土台であるストーリーラインを組み立て(必要ならストーリテリングを行い)、そこに定番のエモーショナルアークのパターンを組み込むことで完成するということだ。

 

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今かえている記事を含め今までの記事はほとんど誰かに向けて書いていないことに気づいた。

 

ほとんど自分に向けた妄言なので僕が僕でなかったときこれらの記事を見たら正直ひいてるだろう。

 

ただ、文字に起こすというのは自分の情報を整理することに向いていると思う。

 

そういう目的もあり書き始めたものだったし実感もしている。

 

短絡的だったものが文字でつながっていき、シンプルな思考に落ち着く感じがする。

 

文字に書くことでストレスが少なるなる事例もある程に書くことは良いことだとえるだろう。

 

それが他の人にはどんな目で映るのかは別としてだが。

 

ただ、情報を整理できることは何も書くことだけではない。

 

三者に話すことでも同じような効果を生み出すことが可能だ。

 

テディベア効果と言って、よくプログラマーデバッグをする時に行われる手法である。

 

名前の由来はデスクに置いたテディベアにコードの経緯やエラーの内容を伝えたときに起きた効果らしい。

 

ちょっとやばそうな雰囲気をかもしているが、説明しようとすることで情報の整理が起きて結果エラーの解消に導いてくれるという。

 

これはテディベアだけでなく、人に話すことでも同様の結果が起きる。

 

そして書く話すの違いはあれど僕が今やっていることと意味合いは同じだ。

 

どちらも良い効果を期待できる。

 

実際に情報をまとめるようになってから、少し自分の中で変化が出てきたように思う。

 

まず、必要な情報をピックアップすることができるようになった。

 

会社の報告など、最少の会話で済ませたい時に最少の情報で要点を伝えられるようになった。

 

大学生の時はこれが下手くそでバイトの時にずっとインカムで状況説明していた時分だったが、社会人になってから報告は殆ど一言で理解してもらえるようになった。

 

次に、思考が深くなった。

 

情報を処理する癖がついたので以前よりも少ないエネルギーで行うことができ、より短時間で深い思考が可能になった。

 

今FPSをやったら昔よりもうまくなってるかもしれない。

 

最後に、頭の良い人の会話がわかるようになってきた。

 

これは勉強のできる人、ではなくておそらくIQの高いであろう人の会話のことである。

 

彼らの話は一見すると飛躍しているように聞こえるがよくよく聞くと筋が通っていたりすることを一般人にはおよそついてこれないような速さで話してきたりするが、少しついていけるようになった。気がする。

 

 

 

 

 

日本人は他の国と比べると、働きだすと途端勉強をしなくなってしまうらしい。

 

ずっと似たような業務をこなしているうちに脳が凝り固まってしまう人はたくさんいるだろう。

 

勉強という意味合いでも文字を書いてみる、誰かに説明してみることをやってみたらいいのではないだろうか。

ダイエットの勧め

先日とある上司の人に同行という形で仕事を手伝う機会があり、その時に彼は最近自分の体型が変わってしまったことにコンプレックスを抱えていると教えてくれた。

 

僕は少しだけ栄養学をかじっていたので、アドバイスとしてあげたら彼は喜んでくれていた。

 

 

 

ちなみにこれを読んでいる人は栄養にどれだけの知識があるだろうか。

 

農林水産省の定めた目安として成人男性が2000±200kcal、成人女性で1400~2000kcalになる。

 

3食食べるのなら1食あたりは男性はだいたい700、女性なら560とちょっとだろうか。

 

ただし、この目安は毎日適度な運動がある時のものなのでこれにならって食事を行うとデスクワーク中心の仕事をしている人は太ってしまうだろう。

 

これに対し、健康的な食事を提供していることで有名なタニタの食堂は1食あたり500kcal前後に絞っている。

 

このくらい制限できると普段から運動をしていない人でもそう太ることは無くなるだろう。

 

とはいっても毎日毎食タニタにお世話になることは難しいだろうし、仮にできたとしても脂肪と糖でできた高カロリーな食べ物たちの魅力を知ってしまった後ではずっと制限し続けることはやはり困難を極めるだろう。

 

そこで僕が上司にも提案したものとして、食べたもののカロリーを調べてもらうことと摂取できるカロリーを一週間単位で考えるようにすることをお勧めしよう。

 

やることは至ってシンプルで、まず自分が食べた食品のカロリーを調べてもらう。

 

コンビニやスーパーで買った総菜やお弁当なら裏面を見れば一発だ。

 

出来ればどこかに記録していた方があとで見返せるのだが、別に必須ではない。

 

次に食べたものの中で食べたかったものと別に食べたくはなかったものに分けてもら

う。

 

きっと別に食べたくはなかったものの中に会社の少ない休み時間の中では食べるものが限定されてしまっていたり、時間がなくてとりあえず食べていたものなどが出てくると思う。

 

そして、別に食べたくなかったものをよりカロリーの少ないものに交換して一週間で一食当たりのカロリーを500~600kcalになるように調整してもらう。

 

カロリーが減った分の時間帯は少しおなかがすくかもしれないが、空腹は最高の調味料とはよく言ったもので次の食事がなんでもおいしく食べれるようになるので個人的には結構よいと思っている。

 

また、継続できれば食事量が減る効果も期待できるだろう。

 

例えば朝が起きられなくてむりやりパンを食べてから出勤する人達なんかは豆腐に変えてみたり、昼は時間がなくてコンビニでしか買わないような人は、何となく買っていたおにぎりと菓子パンをやめてチキンサラダに変えたり、と少しの工夫で摂取するカロリーは簡単に落ちる。

 

あまり食事に気を使ってこなかった人には面倒かもしれないが、それでも毎日の食事を気にしたり、我慢しながら生活していくことに比べたらはるかに簡単だろう。

 

成人してからついた肉はなかなか落ちない。

 

嘆く前に挑戦してみてはいかがだろうか?

「哲学」と聞いて何を思うだろうか?

 

 

 

 

人の人生や生き方を指し示す道標になりえるものだろうか。

 

一部のもの好きが学ぶための必要のない学問の代表例だろうか。

 

 

 

僕が大学生のころに「哲学」を授業で学んだことがあったが、その時は完全に後者だった。

 

全く面白いとは思わなかった。正直何言ってるかわからないし、できてもだからなんだって感じだった。

 

ただ、今は哲学に対する見方が大きく変わっていた。

 

哲学を読解できるようになったからだろう。

 

人や自分のことで悩み事を抱えたときに哲学はそれに対する解決への糸口を提示してくれるものだと知った。

 

 

現代において哲学が活躍する場面があまりにも多い。

 

哲学とは本来、「人がより良い生を送るため」に生まれた学問なのだ。

 

ニーチェルサンチマンという考え方を例として紹介しよう。

 

ルサンチマンとは「弱い立場にあるものが、強者やできないものに対して抱く嫉妬、憎悪、怨恨、劣等感の混ざったような感情」のような解釈だが、ルサンチマンは人の価値基準を歪めてしまうため豊かな人生を送るという点で大きな阻害要因になるものだと彼は言う。

 

これだけではわかりにくいが、実際に想像してみるときっと理解できるだろう。

 

創造してみてほしい。

 

特に自分の好きな柄というわけではないが新しく出たブランドものの商品をのどから手が出るほど欲しくなったことが。

 

すごく欲しかったわけではないけれど学校の友達みんなが持っているという理由で急にほしくなってしまい親に買ってとせがんだことが。

 

あの時の感情をニーチェルサンチマンと呼んだ。

 

欲しくはないものなので買う必要はないわけだが、「持っている人は成功者だ」、「みんなは使える状態にあるが僕にはない」という思いから冷静な判断力を鈍らせてしまう恐ろしいものである。

 

中でも特に危険なのはルサンチマンを解消するために自分を正当化しようとする人がいることだ。

 

優秀な部下を持った上司が、その部下にことごとく強くあたり続け、部下がなにか失敗すれば必要以上に責め立ててしまう、という事例がこれに当てはまる。

 

これは部下の優秀さに上司が自分への劣等感からルサンチマンを感じたことで部下よりも優位に立つために攻撃して自分が上であると示したり失敗を強調させることで部下を低く評価しているのだが、こんなことは今日の社会ではよく見る光景ではないだろうか。

優秀な部下は、恐ろしい上司に怯え生活していくことになり、耐えられなくなればその会社を辞めてしまうかもしれない。

すると、この上司が自分の抱いているルサンチマンを理解しない限り自分よりも優秀な人材は育ちにくいまたは存在しない会社を生み出してしまい、ゆくゆくは会社そのものを崩壊させかねない。

 

このように哲学とは僕達の周りで常日頃から起こっている事柄に目を向けた学問であり、人が生活していくことで知っておくべき教養なのだ。

 

また哲学は学ぶことで広い考え方を身に着けることもでき、ものごとをより多角的にとらえることができる。

 

特に生きていくうえで悩みの多い人は哲学によって消化できるものもあるかもしれない。

 

ちなみに僕は哲学を知るきっかけになった本がある。

 

山口周の「武器になる哲学」という本だ。

 

哲学初心者でもわかりやすく書いてあったので、参考にしてみてほしい。